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From: Akitaka HOSOMI <hosomi@ga2.so-net.ne.jp>
Subject: Re: なにかにつけ節度は大切( 余韻 : ヒトのかたち )
Date: 1999/01/09 17:16:19
Reference: free/00394

世紀末のせいか、日本でも 災厄を説く預言者 を、ワリと見かけたりもする。


旧約聖書なんかに出てくる大昔の預言者ってのは、極めてプリミティヴなもので、
いわく、私は神を見たとか、私は神の啓示を受けたとか、いう印象のものだった。

今の日本で、ンなこと↑言おうものなら、ほとんどビョ〜キの世界だと思われるの
で、神という言葉に替えて、技術の名を騙った知識、を用いたりもするようだ。


しかしながら、

技術は、ヒトが作り出した道具に過ぎない。そのため、これを用いるヒトの側で、
技術の都合に合わせなさい、と説くことは、本末転倒の大権現、と言える。

また、道具自体に、正しい道具/悪い道具は存在しない。その道具を用いることが、
有効か/有効でないか、というレベルの話しでしかない。

有効性とは、道具を用いる者が判断するもので、預言者が託宣するものではない。


実際は、ナニをすべきか? よりも、ナニをしたいのか? が、本来、ヒトとして、
最も重要なことであり、主体の側が方法論の下僕になり下がっでは、それ自体が、
すでに、終末なのさ。

選択肢は、常に、ヒトの側にあり、神と主客を取り違えないことが、大切だろうね。


災厄を説く預言者ってのも、やっぱ、今の時代への過剰適応の産物ではないのか?
などと、近頃、よく思うのだけどさ、ワシなんかは。

結局は、ヒトとして生きようとする 志し の問題だろうかな。まぁ、そんなこんな
で、皆が集い歌い上げる 歓びの歌 ってのは、ヒトであることの証しかな?と、思
うわけ。