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From: よっぱらい <siraisi@cavin.co.jp>
Subject: Re: 多様性を容認する社会を形成できるか。Vol.2
Date: 1998/08/01 13:54:06
Reference: free/00176

こんちわーす

Akitaka HOSOMIさんいつも整理をしていただきありがとうございます。

8月1日に、Akitaka HOSOMIさんは書きました。

>こんばんわ、勝手に週末気分しておりますけど〜〜。
>
>こみ入ったソフト修正の話を、金曜の夕方 5:00 以降に、メイルで持ち掛けてくる
>連中を、果たして多様性社会は受け入れるのかどうか、悩んでいる今日このごろ。
>
># ちょいと、お兄さん、わたしゃね〜、土日に仕事なんてしたくないのさ。
>

Akitaka HOSOMIさんはHO派なのかな。
最近、HOSOの運営している方とお会いすると実力者が多いのに驚いています。
まさに、個性という多様性をを売り物にした、多様性社会の申し子ですよね。
カタストロフの時代ではもっとも個人(個性)を歪めない生活スタイルですね。

今のほとんどの組織の中では、個人が組織の利益の為に何らかの犯罪性のある行為をする事が
エラ〜〜クなる条件のようですね。
(いまどきのいいところのご子息の残虐な事件が多いのは、この辺と相関するのかも知れないな。)
倫理性にこだわると、今のほとんどのまともといわれる会社への勤めはできないことになる。
これはなにか変ですね。
まずここのところが変わらないと、才能を集約し難い。
おかげさまで、問題が一つ整理できたような気が。

>>今回の宮沢大蔵大臣は年長者ですが、現在の経済問題に責任ある立場で、
>>お考えのようですから、できるかもしれませんね。
>>過ちを償う最後の時だと思います。
>
>
>責任とらにゃならんので、何がなんでもワシに大蔵大臣をやらせろ ! ってぇのなら、
>まだ判る。でも、話があった時には、自分は年喰ってるとか、党は多士済々でとか、
>勿体つけて固持してたんでしょうに。
>
># 小渕さんの説得に応じたってことらしいですが、ホントにやる気あんのかしら。
>
># 昨日の首相の記者会見みてると、バブルの話が出た時は、小渕さん、えらく不機嫌に
># 見えましたが、もう、なんだかなぁ〜、つう感じ。
>

しかし、これは国民が大きな声を出して動いていただくしかないでしょうね。

今は宮沢大蔵大臣豹変す、を期待するしかないですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~                   
あとでやっぱり引き受けるんじゃなかったとなると、国?の代名詞がつきかねない。


>>ただ、テレビで拝聴したところでは、「私はケインジアンだ。」と公言されていますね。

ここのところの「のみ」が変わるか変わらないかが、すべてのように思いますけど。

>>しかしながら、「シュンペーターも勉強することはしたけれども」の、お話も聞きました。
>>ここは、その優秀な頭脳で「シュンペーター」「アルフレッド・マーシャル」を
>>再度、思い出していただきたいものです。
>>
>>私見ではありますが、今回の問題は「ケインズ」一辺倒では解けない問題の
>>(1936年では少し経験が足りない)ように私は考えています。
>>
>>マーシャルは英国の衰退期を体験し、挑戦しようとしたのですから。
>>この時期の経験を生かすことが今回は不可欠と思います。
>>今の日本の状況と酷似した歴史のように思うのは私だけでしょうか。
>>経験は活用しましょう。「温故知新」なんちゃって!
>>なんか、小学校の作文みたいだな〜〜
>

しかし、選挙もどこかにまともな人はいないのかな。
消去法での投票はなにか気が重いですね。
ルンルンで投票に行けるそんな選挙はあるのだろうか。

>
>
>>私はシュンペーターは大いに実験する価値があると思います。
>>これは、今各所で起こっている、イノベーションの火を政・官・業が潰す行為を
>>止めていただきたいということです。
>
>
>政・官と呼ばれてる人たちってのは、他人がイノベーションを起こしてくれると
>考えてるみたいですよね。自分で起こそうとはしないので、自覚なんぞ、生まれ
>る筈がない。目的を持たない力は、有効に働かない。
>

イノベーションは民間レベルで始まるべきと思います。
しかし、官職者は卑しくも法をも無視する潰し行為などはするべきではない。
(ちょっと個人的感情が入ってしまった。)

#「政・官・業」とは、その中に特権階級者の様な人が日本には存在するようです。
この方々を指しています。
この特権?はどの法律にも規定はないようです。

>
>>今更、日本の社会に倫理を求めるのがいいのか解りませんが、(地方には
>>まだ芽がのこってるように感じるのですが永田町あたりは全滅なのでしょうか。)
>
>地方のどの辺りに芽が残ってるのでしょうかしらん。

#ここでいう倫理とはアメリカ型の倫理観ではなく日本型の倫理観を指しています。
#アメリカ型、日本型とはベースになる人種・宗教・産業・歴史等の違いによる、倫理観差をいいます。

これは、二つに分ける必要があったようです。
一つは「政治」
一つは「人」

政治的には
>
># 情報公開は、みごとなまでに日本で一番最後。
># オンブズマンの言うことなんか、馬耳東風。
># 選挙違反で有罪判決が出ても、市議で立候補すりゃ、オーケー、オーケー。
># 挙げ句の果ては、トップ当選、オレを会派に入れろ ! ってか
># だいじな文化財には、堂々と杭を打ち込むし
># 道路を作ると言っては、担当職員同士が怪しげな融通を付け合ってる。
># 効果のほどもよく判らん地下駐車場に金をつぎ込む。
>
>なんじゃこりゃ状態で、永田町よりヒドイように見えますけど。

ように見えるかもしれませんが、じつは、?田町はもっとひどいようです。

さらにひどいのはこれが何と?田町では常識化している事なのです。

地方政治についてはは中央が変わらなければ、多分変わることは無理だと考えています。
それが、日本の中央集権制度なのです。

人というのは以上のようなことを言える(体制に囚われない提言が出きる)純粋な正義感が、
環境も含め結構多く地方には存在するということです。
つまり個人の自由の幅とかと考えるとわかりやすいでしょうか。


中央では若者に純粋な正義感が失われつつあるよう感じているのですが。

つまり、ものをを見る目が、近いか、遠いか。
個人主義発想のベースが、利己か、公益か。
科学の向うに自然を見るか、自然の向うに科学を見るか、
というような違いがあるように感じています。

ただし、これらの一つ一つについてどちらがいいのかという問題ではなく、
それら一つ一つが個人の価値観にどう影響を与えているか。
これが問題だ! なんちゃって

要するに総裁選にでた田園(?)派、都会派ということに集約されるのかな。
すこし、まとまらないので次回に持ち越し?。
できましたらご意見を。

>>これは日本を自滅させる行為である事をご理解ください。
>
>それも選択肢の一つではあります。
>
># その方が再生が速かったりもする ....
>

確かに選択肢ではあるし、こちらの方が速いかも
ここは人としてのありようのちがいかな。
変わるときにはいやでも変わる、しかしこれ以上時間をかければかけるほど出口が悲惨な
ような気がするのですが。

>
>具体的な将来の展望を示そうとはしない妙な連中も多いので、出口がどこなのか、
>ハッキリ言える国民は、なかなかいないでしょうね。
>
># 日本人ってのは、日本人同士で、やさし過ぎるのかも知れんですし
>
>
>>日本もここは、自立して、他国と協調し、世界に貢献する、という、当たり前の行動を
>>期待したいものです。
>
>
>あの内閣みてると、日本の外に向かって、さぁ、どこからでもかかってきなさい !
>と言えるようになるとは、なかなか思えないんだけどなぁ ....
>

多分これから大きく変わるはずです。変えなくては。

あるテレビニュースで宮沢大蔵大臣関連でカタストロフィーが出てきましたが訳が適当でなく、
カタストロフィーにしてはいけないなどと今更ごとの報道がありました。
しかし、こと既に遅く、現在がカタストロフィーだというのが私の考えです。


>多様性を容認する社会を形成するために余分なモノは、時間が適当に掃除してくれたり
>もしますよね。
>
># 何が、余分なんだ?って、よく判らないのだけど ....

そうですね、これはいろいろな社会的無駄の排除でしょうね。
50年の間(実際には二十数年間)にこの無駄が日本の生産性を落としたということですね。
あまり詰めると今回の経済問題の基が出ちゃいますからこの辺で。

とにかく最大公約数の当たり前はあるのに、それでは困る(社会的無駄な)人が力を持つように
なったということでしょう。