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From: Akitaka HOSOMI
<hosomi@ga2.so-net.ne.jp>
Subject: 議論考
Date: 1998/10/17 07:44:42
一方向を向くように相手を説得すること、これは、言わば、価値観の強要であり、一種の
洗脳だ。
そのようなものが、議論だとは、とても私には考えられない。
私は、自分が関心を持っている問題を、もっと深く掘り下げて考えてみたいので、議論に
参加する。
幸運にも、協調する者の的確なレスが得られたなら、それは問題を際立たせ、さらに掘り
下げ、自分の理解は、きっと深まるはずだ。
私は、考えを深く掘り下げるために、ものの見方という道具を使う。つまり、考えるため
の道具だ。
見方を使って、問題を切る。物事は、一方向からの切り口だけでは、なかなか判じ切れな
い場合がある。そのため、いろいろな方向から切ってみることも必要だろうね。
そんなわけで、議論の中で、いろいろなものの見方を試せたり、共有できたら、私は、楽
しいだろうなぁと思うわけ。
ところで、今、自分たちが持ち合わせているものの見方を使っても、結局は、結論が出な
いこともあるだろうね。
でも、それはそれで、一つの立派な結論であり、協力した者たちの未到の到達点でもある。
私は、そこに到達できるだけでも、充分、価値のあることだと考えている。
不運にも、あやふやなものの見方を使った場合には、議論の流れ自体が、よく判らなくな
ってしまう。道にも迷うし、時間は無駄に潰される。挙句の果ては、堂堂巡りを繰り返す
ことにもなる。
これは、到達点に達することとは、本質的に違う。
協調して参加した者たちの願いや努力は、結局、無に帰すかも知れない。残念なことだ。
あやふやなものの見方は、時間を潰し、話を混乱させるための凶器、だと私は思う。